私のこだわりウエディング撮影

結婚式に想うこと。

花嫁さんへの思いとか、
結婚式への思いとか、
私がブライダル業界にそこそこ長くいることへの思いとか、
いろんな「想い」があって今の私がいるのかな、と。


打ち合わせからアルバムまでぜんぶ手がけてあげたいこと。

結婚式のカメラマンとして写真を撮り始めた頃は、
ブライダルの撮影事務所にいちカメラマンとして所属し
へたくそな私に撮る機会を与えてもらうことでたくさんの勉強をさせてもらいました。

ただ1年たち2年たち、少しずつ自分の撮りたいスタイルや想いが高まってくるうちに
気づいたこと。
新郎新婦との打ち合わせは会社のプランナーさん。
情報をもらった私は、結婚式当日初めて新郎新婦と対面し
「私が撮影担当です、よろしくお願いします」
・・・この距離感で、果たして彼女たちが思う写真は撮れてる???

撮影が終わり、数えきれないほどのドラマが詰まった写真はそのまま会社の編集部門へ。
アルバムの写真セレクトとレイアウトは、
新郎新婦に会ったこともなく結婚式当日も関わってない、編集スタッフの手によって。

この方式、決して否定しているわけではありません。
部門ごとにプロフェッショナルを置いた流れ作業によって、それぞれの仕事が効率的になり
全体的なクオリティにばらつきがなくなるし、
しかも短時間でたくさんのカップルの依頼を引きうけることができるのですから。

ただ結婚式の当日、その場所で写真を撮ってる私自身の気持ちとしては
新郎新婦の性格や好みや結婚に対する想いを知り、
写真を撮られることへの不安感も取り去ってもらったうえで撮影に臨みたい。
そして、当日その場に、しかも新郎新婦にいちばん近いところに居合わせた私自身がアルバムを作ることで
一枚の写真の奥にあるたくさんの「おめでとう」を表現して
最終的にお客様が喜ぶ笑顔まで見届けたい。

「だったら・・・新郎新婦と思いを共有できる限り、
どれだけ手間ひまかかったって、
手作り感満載のアルバムだって、
できる限りのことを一人で手がけてみよう」

1999年、当時はまだほとんど存在しなかった個人ブライダルフォトグラファーのサイトを開きました。

ホームページを開いて20年くらいたちましたが、
新郎新婦とのコミュニケーションを大切にしながら
打ち合わせから納品まで一人でやりきるスタンスは当時と何も変わらず。
そのときの新郎新婦は家族になり、
最初は考えてもいなかったファミリーフォトの撮影も自然発生的に増えて現在に至っています。

でもね、今でも撮影事務所の所属カメラマンとして
「式場カメラマン」も並行しているんです。
一匹狼なだけだと独りよがりになる撮影スタイル、
また、一組でも多く花嫁さんの写真を撮りたいという本来の「撮りたい病」。
まわりにカメラマン仲間もたくさんできるし、
式場スタッフとの連携も勉強させてもらえる。
これからもバランスを取りながらいろんな結婚式に携わっていきたいなぁと思うのです。

残るのは写真だけ、ってこと。

結婚式は、とにかく大きなお金が動きます。
だから、いろんな準備をするなかで
式場の担当者から毎度渡される見積もりに戦々恐々となるのはよく分かる。

式場と契約したときは、300万ですべてできるはずだった。
でも、その見積もりにはアレがついてなかったことが判明したり
コレをどうしてもつけたくなったり
アレやコレやと、見積もりは膨らんでしまうのがだいたいのお決まりなのです。
だって、私自身もそうでしたもん(^^;)

「膨らんだ式場の予算」をどっか別のところで穴埋めしたいというのが当然の心理で、
そこに比較的ターゲットとなりやすいのが、一般的に写真やビデオだったりするわけです。

ただ、ちょっとよく考えるとその選択はどう考えても理屈にあわないのですね。
さんざん時間をかけて選んだドレス・好きな花で作ってもらったブーケ・
おいしく食べてもらいたいとグレードアップしたお料理・・・
カップルによって優先順位はあれど、
何かしらどこかにこだわりを持って式をあげようとしている、
その日のすべての記録を永遠に残せるアイテムに予算を削ったり、
こだわりを持たないことは ほんとうにもったいないことだと思うのです。

とくに、結婚式の写真は
どこか旅行に行ったときの記念写真とか、スマホでぱしゃぱしゃ撮る日常写真と違って
10年後も、50年後も何度も見返す、特別な意味を持つ写真なんですよね。

ぜひ、結婚式の写真はこだわって
「自分の気に入った写真を撮ってくれるカメラマン選び」から始めてほしいのです。
そうやって選んで、大切にしたい写真がたくさん残れば
結婚後、歳をとるまでずーっと自分の家の宝物になることを考えると
それこそプライスレスだと、写真やさんの私は勝手に思っていたりします。

もちろん、その後の生活が苦しくならない範囲内で・・・が大前提ですけど(*^_^*)

花嫁オーラはみんなにあること。

「花嫁オーラ」。
私がブライダル業界に入る前からその言葉はあって、
もうずいぶんと使い古された感があったり、
適当な美辞麗句のひとつだったりする。
でも私は、お世辞でもなんでもなく
結婚するすべての女性には、花嫁オーラは出てると言い切っちゃいます。

いや別に、私に「何かが見える」能力なんてないですよ(笑)
ただ、お客様とは打ち合わせのときに会って話すときと、
式当日にばっちり決めた花嫁さんになった彼女に再会するときと、
顔や声は確かに同じ人なのに
「あの普段着のアナタはどこへ?」的な驚異的な変化をとげることがほとんどなのです。
それは、純白の花嫁衣装だったり
普段の何倍もの時間をかけて作り上げてもらうメイクだったり
たぶんこの先この日しか見られないであろう(??)、正装の彼氏にかっこよくエスコートしてもらったり
外見的なことは多少あるかもしれないけれど
着飾るためのアイテムなんて比じゃないくらいの「内側からの」美しさが、彼女にはあるのですね。

それは、カメラのファインダーを通すとさらに際だって感じます。
横3:縦2比率の枠内というごく限られた空間のなかでしか情報が得られないからこそ、
ぱっと見の肉眼では判断がつかないものも、ほんとうによく見えてくるのです。
これが「真実を写す」ってことなんですかね。

前置きが長くなりましたが、
今まで私が見てきたすべての花嫁さんに当日なんだか分からないけど内面から出る美しさがあって、
ほんとうにほんとうにキレイだなぁと思える。
そんなわけで結婚を迎える女性は、もっともっと自信を持って写真を撮られることを楽しんで。
結婚を迎える男性は、そんな彼女を生涯のパートナーに選んだことを心から誇りに思って。
そして二人とも、当日本番を迎えることを心から楽しみに思っていてほしいのです。

和装を着るならかつらは怖がらないでほしい、ってこと。

私がこのお仕事を始める前からとても尊敬しているヘアメイクの先生が
以前こうつぶやいたことが、私の心に今もしっかり根付いています。

「日本人である以上、
民族衣装の重要なアイテムであるかつらが似合わない女性はだれ一人としていないのよ。」

もし似合ってないとか、おてもやんみたいな花嫁さんがいたとしたら
それは本人が原因なのではなく、ヘアメイクの腕のせいなんだそうです。
日本人であること、他の国にはない民族衣装であることに誇りをもって、かつらにトライしてみませんか。

それとですね、
和装を予定している花嫁さんと写真の打ち合わせをしているときによく話に出るのが
リハーサルのかつらあわせで後悔してる方がけっこう多いこと。

「和装のときの写真はあまり撮らなくていいですから〜(^^;)」
「わたぼうしは絶対ぬぎません(-_-)」

なんてことを言うお客さまも少なくないのですが、
リハーサル時は当然普段メイクですよね。
普段の顔にこんなヅラかぶったら、
そりゃ誰だって
はい、吉本新喜劇のできあがり。

式本番は、そのかつらと衣装が似合うためにきちんと肌を白くぬって、
塗ったことがないような真っ赤な紅をさして。
そうして、最高にバランスのとれた花嫁さんに仕上がるのです。

そして私自身も、自分の結婚式では白無垢を着て、かつらをつけて
神社の境内を歩きました。
若干、おしゃべりが過ぎる花嫁だったらしいですが(汗)

自分が結婚式をあげてみてはじめて気づくこと。

2008年に、39歳というなかなかの歳でようやく結婚しました。
それまでとくに結婚したい願望もなかったし、
結婚式に至ってはあまりに見すぎてしまったため
ドレスにもキャンドルサービスにも、ときめきというものが一切なく(俗に職業病と言う)
私はたぶんこのまま、ひとりでいるんだろうなと思ってた矢先の
今のだんなさんの出現だったのでした。

ウエディングに関する知識がたくさん詰まってる結婚情報誌も、いつもの仕事の情報収集のように思えて
いざ結婚が決まっても最初はホントやる気のなかった私でしたが
そのうち、準備でいろんな人に関わっていくうちに
こんな私の小さな結婚式でさえ、協力してくれる人がたくさんいることに今さらながら気がついて

この結婚でお世話になった人たちに感謝の気持ちを忘れないこと。
当日、時間を共有してくれる列席者に楽しんでもらうこと。
そして、私自身が楽しむこと。

そう思ってからは、とにかく時間のある限り、アイデア出してがんばりました。私なりに。

それで結論が、
なんだかんだ言って結婚式って、いいもんですね。

今、準備したり人よんだりするのがめんどくさいとか、
それぞれの理由により式や披露宴をやらない人がほんとうに増えていますが
何かしら、人生の節目の記念として
どんなに小さな結婚式でもいいから、自分たちがお世話になった人たちへの
おひろめの場を作ることって、
決してめんどくさいことでも不必要なことでもないと思うんです。

そして、何はともあれ残るのは写真だなぁと。
名古屋のフォトグラファー三澤さんに撮ってもらった当日の写真、
お互い貧乏な頃からよく飲んだくれた仲間の大槻くんに撮ってもらった前撮り写真、
どの写真を見ても、自分たちもまわりの人たちも楽しそうでスタイリッシュで・・・
式当日は見ることができなかったシーン、
また私自身が忙しすぎて記憶にも残ってないシーン、
すべての出来事とすべての人の表情が写真にしっかり収まっていることへの安堵感。
これこそ「私たちにとって一生ものの写真」

だからこそ、
これからも何かしらのご縁で関わることになった新郎新婦には
私が写真を見たときの感動と同じだけのものをなるべく残してあげられたらと思っていたりするのです。

結婚式の写真を撮ること。

優しい光に包まれた、ふんわりナチュラルな
「きゅうえワールド」な写真。

年月をかさねるごとに
私自身の技術が上がったり、
世の中がフィルムからデジタルになったり、
機材の精度がどんどんよくなったり、
時代の波に合わせていくことはあるけれど
自分自身が撮って、見て、いちばん心地よいと思える写真を撮ること。
それは、いちばん最初に花嫁さんの結婚式を撮った頃から
なにも変わってないのかもしれません。


花嫁さんの「キレイな瞬間」は逃さない。

撮影の依頼をいただく新郎新婦。
たいがいのかたは、「撮られる」ことをお仕事にしてない、モデルとしては素人さん。
写真写りが悪いと自身で感じてしまっている人も少なくなく、
打ち合わせで「写真が苦手なんですがどうしましょう」と。

でも、安心してください。
今までの人生のなかで撮られてきた写真の大部分、
だいたいが「は〜い、撮りますよ〜ぱしゃっ」って、
ある意味タイミングを強制された正面からの写真。
表情だってそれに合わせて作ったりなんかして、自分自身の本来の顔ではないわけなんです。
そこで自分の気に入った表情がうまく作れない人が、イコール「写真写りが悪い」ということに(-_-)

だけど、結婚式で私が撮る大部分の写真は
ただ私が360度ふたりのそばにいて
ファインダーごしに、カワイイ!キレイ!カッコイイ!って思ったところでシャッターを切っていく、
撮られるタイミングが気にならない、本来のステキ顔がどんどん残る写真。
当然、自分がそのとき幸せであることのオーラもちゃんと手伝って、
内面からにじみ出る自然な表情が、そりゃ美しくないはずはないのです。

人の顔やスタイルってみんな、「いちばんステキに見える角度」っていうのが
人によってそれぞれ違うんですね。
とくに一般のかたの場合、モデルさんのように自分を魅力的に見せることが仕事的に分かっている人と違って
その「スイートスポット」がどうしても小さなことが多い。
人によって違う「キレイポイント」を瞬時に判断し、
ほんの何時間かの大舞台の記録が永遠に残る写真は、やっぱり最高にキレイに残してあげたいのです。
もちろん、肉眼で見るよりも数段美しく。

非日常をナチュラルに残したい。〜ソフトフィルター

結婚式って、どう見ても「非日常」。
テレビや雑誌でしか見たことのない真っ白なかわいいドレスを着て、
隣にいる彼はばしっと正装で決めて・・・
だから、そんなシーンにふさわしい、
ちょっと幻想的な空気感も写真に残すことを大切にしたいなと思っています。
だからといってコテコテのイメージ写真にするつもりはなく、
あくまで当日を自然体で過ごす二人を、ごくナチュラルに。

それで私が撮影機材として昔から使っているのが
ハリソンというアメリカ製のソフトフィルター。
ざっくり言うと「すりガラス」のような曇ったガラス板を、カメラレンズの前にはめて撮影します。
ソフトフィルター数あれど、ここのふんわり効果は群をぬいて心地よいボケ感が出るのです。
まだ駆け出しだった頃に先輩カメラマンにこっそり教わってから
もともとふんわりした写真が好きだった私はもう一目惚れで・・・
以来、私の結婚式の撮影はこのフィルターとともに育ってきたといっても過言ではありません。

数年前から写真がデジタルデータに変わり、 その画質は花嫁さんのまつげ1本1本まで鮮明に映し出します。
まぁそうなると、お客さまによっては「写らなくていいよ」ってとこまできちんと見えてしまうのですね。
そんな「鮮明データの困ったちゃん」を和らげてくれるのも
このソフトフィルターのいいところ。
肌感のなめらかさは、他のソフトフィルターではまず出ないと思っています。

現在、結婚式の写真のみで主に使用しています。
カメラ目線のきっちりした写真やふんわりしたイメージに合わないシチュエーション、
また逆光が強すぎる場面ではつけないことが多いですが
基本は私が感じたままに、つける・つけないの割合はその結婚式によって違うことが多い。

ただ、ソフト写真は好き嫌いがあるので
ふんわり写真があまり好きでないという方は遠慮なくリクエストくださいね。
レンズの前につけたりはずしたり、自由自在ですので(*^_^*)

残念ながらハリソンのフィルター、
生産中止になったようで現売しているものはないそうです。
今私が使っているフィルター、落っことして割らないよう大切に大切に使っていかなくてはね。

うつむく花嫁さんの表情を狙いたい。

たくさんの結婚式、新郎新婦の写真を撮り続けてきて
今も変わらず、はっとする瞬間。
それは、純白ドレスの花嫁さんが教会での挙式中のベール越しだったり
参道をゆっくり歩く白無垢の花嫁さんが綿帽子のなかから見え隠れする表情だったり
シチュエーションはさまざまですが、
うつむきかげんの瞬間の表情に、いつもぐっとくるのです。

憧れの花嫁衣装を身にまとった、ちょっと照れながらも幸せいっぱいの気持ち。
ご両親のもとから旅立つ、ちょっとだけの寂しさ。
大好きな人の隣で、これから一生そばにいることへの決意。
いろんな気持ちが混ざった、何とも言えないしっとりとした情感も一緒に写真に残そうとがんばるのですが、
ベールやわたぼうしの奥に隠れるほんとうの気持ち、
結局のところは他の誰にも知り得ない感情なのかもしれませんね。

お二人のことを知ってから撮影したい。

人間の記憶力がはかないものである現状だからこそ、
結婚のイベントをあとで思い返すのは、写真であったりDVDであったり
記録されたものを眺めることでしか永遠に残らないのです。

そんな写真撮影の大役を任されるからには、
結婚式当日、はじめて対面して「アナタが思う最高のウエディング写真を撮りますよ」じゃ、
やっぱりちょっと心もとない。そんな神様のような保証だってできない。

なので、可能な限りお会いしての事前打ち合わせをするようにしています。
打ち合わせというか、「顔合わせ」ですね。
基本的には式の詳細や写真の要望の話だけど、会話を交わすなかで
ご本人のビジュアル的な部分はもちろん、どんなスタンスで写真を撮ってほしいのかな〜とか、
なぜここの式場に決めたんだろうとか、
ことばには出なくても一生懸命こだわっている部分とか、
会話全体の雰囲気から私が感じることが、当日の撮影すべてに反映できるのです。

ときには、たまたまそのときブルーになっている花嫁さんの「お悩み相談室」になることも。
私自身も人と話すのが好きなもので
だいたいいつも2時間前後から、女子トークが盛り上がりすぎて長くなるときには4〜5時間になることもあり、
そういった他愛ない時間のなかでゆっくりコミュニケーションを取っています。

そうは言ってもこのご時世、予算が厳しい新郎新婦が多いのも現実。
「だから写真はプロに頼まず、列席の友人に撮ってもらうだけでいいや」
なんてことになるほど、私のエゴを押し通すつもりはないと思っているから
ブライダル撮影プランのなかには事前打ち合わせをしない格安プランもあるわけで。
あとはお二人がどこまでを求めるか、を選択できるようにしています。

カメラ目線の写真も大切にしたい。

私自身が結婚式を経験してから、カメラマンとしての意識がちょっとだけ変化したことがあります。
それは、「二人らしい」カメラ目線の写真を撮りたいなぁ、ということ。
それまでは、目線をはずした、絵的にいい写真を撮ってなんぼのブライダルフォトグラファー!なんて思ってました。
もちろん今でも、絵的にステキな、かっこいい写真を撮ることはいつも考えながら撮っています。
この場所で、この二人が、まるで映画のワンシーンのように・・・なんて。
前はそーゆうのが撮れれば、カメラ目線フォトはほんのお供え程度に撮ってあればいい、って。
だって誰でも撮れるし、みたいな。

でも私自身が結婚式を終えて、周りのみなさんに式のことを報告するとき
撮ってもらった写真を見ながらいざ候補にあがる写真って、不思議とカメラ目線のものばかり。
たかがカメラ目線、されどカメラ目線。
写真のことを仕事にしている私でさえそうなんだから、
そうじゃない他の新郎新婦が目線写真が必要ないワケがない。

だから今は、目線をはずしたナチュラルやらせ(?)はもちろん今でも私のこだわりとして、
二人が「これ、私たちらしくていいね」と言ってくれるようなカメラ目線の写真を必ず撮っておきたいなと思いながら撮影しています。

こんなプライベート感たっぷりな思いも持ち合わせながら、
日々花嫁さんと接しています。

興味を持っていただけたらぜひご連絡ください。
打ち合わせでは楽しい時間にしましょうね。